子育てブログ⑤(思春期との闘い)
息子が、本格的に親を避けるようになり、話もろくにせず、反抗的になったのは、中学生になってからでした。
その中でも最も苦しかったのは中2の頃でした。
反抗期にはもちろん入っていましたが、それ以上に大変だったのが、不安と強迫症状。
普通に学校には行っていましたが、家で一人でいると幻聴や幻覚が彼を襲いました。
そして、自分が何かの病気ではないかと、一つ一つが気になります。
『息が苦しい』…これは心臓の病気では?
こちらがいくら「大丈夫」と言っても効果はなく、病院へ。一つの病院では納得出来ず、病院のハシゴ。
『肩が痛い』…もう野球ができなくなるかもしれないとあちこちの整形外科へ。
『黒いものが見える』…目に悪性の病気があるのでは?と。
知り合いの眼科の先生にあらかじめ連絡し、息子に『大丈夫』と言ってもらい、専門的に説明してもらい彼を納得させる。
他にもいろいろありましたが、一つ解決すればまた違う心配が…
結局、行き着いた場所は「心療内科」。
彼の不安を受け止めてもらい、軽い安定剤を出してもらいました。
思春期にぶつかる壁は子どもさんによって時期も、様子も、程度も異なりますが、必ずいつかはトンネルを抜ける時がきます。
親は兎角、反抗期の子どもと正面からぶつかり、戦おうとしますが、子どもは頭では分かっている。でも、イライラする。素直になれない。
必死で立ち向かおうとせず、上手に交わしながら、少し距離を保ちながら見守る。
これが簡単に出来たら苦労はしないのですが…
一度だけ半狂乱になりブチ切れたことがあります。
「死ね」
と言われた時でした。
あまりにこの言葉がショックでした。
これは許せない。ここは許してはいけない。そう思い、私は包丁を自分に突きつけ、
「本当に死んでもいいねんね?」
と息子に言いました。
大泣きしながら息子に言いました。
そして、少し冷静になってから、
「人に向かって死ねと言ってその人が死んだらあんたは殺人を犯すのと同じや!
私はあんたを命かけて産んでここまで育ててきた。その言葉だけは許せない。
その言葉は今後一切誰に対しても遣ったらあかん」
息子も気が狂ったように泣き、最後は私に謝りました。
このことがあってからは一度も『死ね』
とは言われたことはありません。
(少し荒療治でしたが…)
余談ですが、仕事上出会う子どもたちにもこの言葉を発した子どもには、毅然と厳しく注意します。
言葉は言霊。
人を救うこともあれば、深く傷つけることもある、両刃の剣。
心についた傷は一生消えないことを伝えます。
そして、思春期との闘い方のコツは、
少し遠くから見守ること。
挨拶と笑顔だけは忘れずに。
今なら言えます。
息子の思春期が終ったのは、つい最近のこと。二十歳を過ぎてからでした。
大学生になった息子は、これまでの恩返しということで、高校野球の学生コーチとして2年間全力で後輩と向き合い、先輩から沢山のことを学び、感謝と自信を得ることができました。
今では社会人となり、まだまだ未熟ながらも、人への愛と感謝と情熱をもって毎日を大切に生きていきたいと、私に言います。
いつか、親孝行するから。
産んでくれてありがとう。
そう言い残して上京していきました。
子ども自身が自分の人生を自分の意思で悔いなく生きることができること。
そして幸せでいてくれること。
それが、親にとっての孝行だと思うけど。
でも、そんな言葉は何よりのギフトです。
そんな息子に親にしてもらったことに感謝しています。
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